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​七人の俳優たちの稽古場日誌

稽古15日目 
「考える。想像する。」 

記録者 高信すみれ

戦争は、敵を排除します。

文化は、異なるものを異なるまま受け入れ、共に生きていきます。

 

戦争は、敵の死を求め、ただの数として扱います。

文化は、死を記憶へと変え、継承していきます。

 

戦争は、人間が「共に生きることに耐えられない」と思ったときに起こります。

文化とは、人間が「ただ生きるだけでは足りない」と思ったときに生まれます。

 

私たち市民は、武力を持ちません。

けれど私たちには、文化があります。

 

「傷口は広がりますか?

戦後とはいつまでですか?

音楽は凍りますか?

地球はいくらですか?」

 

寺山修司が編んだ『ハイテーン詩集』にある言葉です。

 

時折、考えます。

今は本当に戦争のない「平和な時代」なのでしょうか?

いまは「戦前」かもしれないことに、目を背けてはいないでしょうか?

あるいは、背けることこそが普通だと思い込まされてはいないでしょうか?

答えの出ないことを問い続けるのは無意味でしょうか?

 

私たちには想像力があります。

今を疑うことができます。

 

そして私たちは、自分が自分であることを選ぶ権利を持っています。

その権利を奪うことは、何があっても許してはならない。

結局、行き着くのはそんな当たり前の結論です。

 

では、戦争が始まる前の、本当に直前かもしれないこの時代に、私たちが「私たち」として生きていくために何ができるのか?

 

考える。

想像する。

 

とてつもなく大きなものを前にしたとき、人は「戦っている」と自覚するほどに想像力を失います。

けれど、その壁の前に立っているのは自分ひとりではありません。同じ壁の前に、同じ文化の力を持った人間が立っています。

 

そのことに気づくことができたなら。

幸せな世界を、ほんの少しでも想像できたなら。

私たちはきっと、もう少しだけ優しくなれるはずです。

 

そんな、「想像力」の物語が間もなく開幕します。

男七人の俳優たちによる、アツい青春劇です。

本当にバカらしくて、ドキドキするほどに真っ直ぐで、もれなく全員愛おしい!全員に幸せになってくれ〜!と毎回思っています。それなのに、そんな人間たちなのに、戦争は起きるのです。

 

七人は、戦争が始まった世界でなにを考え、想像し、戦うのか?

そしてあなたは、戦争始まったけど、どうする?

12日から、吉祥寺シアターにてお待ちしております!

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稽古14日目 
「最大瞬間風速」 

記録者 新垣亘平

おれの身体はどうやらイカれちまったらしい。

大声を出すと吐瀉物をぶちまけそうになるし、

2回飛び跳ねただけで汗が噴き出す。

視界にはずっと紫の羽虫の大群が飛び回り、

頭の中でずっと声が聞こえる。

 

「彼らの痛みはこんなものではない」

 

地が怠惰な自分にとっては、この状態は

これはこれで使えるか、ってなもんだが

友達や家族はすぐに病院に行けと言う。

 

病院は嫌いだ。

 

産まれた時も病院で、死ぬ時も恐らく病院。

多くの現代人がそうでしょう、きっと。

つまり、おれは仮退院中の身だ。

だったらそれ以外は極力行きたくない。

心電図の音を聞きたくない。

 

まぁとにかく、今は今を創ろうかなと。

 

先日、大雨が降りましたね。

もっとすごいよ、沖縄の台風は。

雨風は凄いし、音がもうとにかくうるさい。

たまにドアとか窓とか吹き飛んで、

大自然が家の中にこんにちはしちゃうくらい。

 

でもひとたび台風が通り過ぎると快晴。

雲一つない青空。心地よい風。

道端にはどこからか飛んできた看板、鉄屑、下着(台風の日に洗濯物干すな)とかが落ちているってのに呑気に照らしやがるんです太陽が。

 

これがおれの故郷の景色。

このごちゃごちゃ加減。

草の匂いと畑の虫の音と潮風と。

 

東京にも同じ風はきっと吹いているでしょう。

 

「昭和は戦争、平成は震災、令和はウイルス。

時代は時代の風が吹く。」

 

この夏、吉祥寺シアターに風を浴びに来てください。

来てくださった皆さんの明日が晴れるように。

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稽古13日目 
「風に吹かれて」 

記録者 小河智裕

本番まで後4日!!

 

今回の作品で使われる山岸さんの歌を聞くと、ボブディランの風に吹かれてを思い出します。

「blowin in the wind」ってのは、「漠然としてはっきりしない」という意味の慣用句らしい。

世の中はとかく明確にしたがる。何かの事件があれば、あれは原因がこうこうこうであいつが悪くて、、、とか。

 

答えは風に舞ってるぜ、ってディランは言ってるけど、じゃあ風に舞ってる答えどうやって掴めばええねんってなるじゃないすか。

それでね、かのウサイン・ボルト氏が桐生祥秀氏との対談で「自然に身を任すことが出来れば、もっと早く走れるはずさ」と言ってるんです。

これ、200m日本記録保持者の末續慎吾氏も同じようなことを話してて。

末續氏は「速さは地面を押すことではなく、地面に委ねること」って言っていまして。

 

あれ?これは風に舞う答えを見つける1つの方法なんじゃね?って思ったんすよ。

子供の頃はみんなただ、自然に身を任せて風の中に何かを見ていたはずじゃないかなって思うんす。

 

おれね、大人は嫌いなんすよ。大人にはなりたくねーと思って生きています。

でもいま32でね、そりゃあ大人だよな年齢的には。

では、本質的大人とはなんぞやと。

これはおれ、風に舞ってるモンが分からなくなっちまった人なんじゃねーかと思うんすよ。

自然を分からなくなっちまった奴から大人になっていくんじゃねーの?っておれ思います。

 

随分漠然とした結論じゃないのよ!と思われそうですが、それもまあ風に吹かれてってことで。眠いんで寝ます。おやすみなさい。

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稽古12日目 
「想像力と戦争」 

記録者 浦川拓海

本番まであと5日。

気の置けない仲間たちのおかげで、テーマの重さに負けず笑顔の毎日です。

体はへとへとですが。

​​

 

 

 

今回の舞台で度々「想像力」という台詞が出てきます。

「想像力」と「戦争」で思い出すのは2001年の9.11の映像です。

あの日、僕は自分の部屋で何気なくテレビをつけて、ビルに飛行機が突っ込むのを観ました。

「またブレアウィッチプロジェクト的な映画かな」と思い、しばらく眺めていたら、一向にストーリーが進まない。

じわじわと「これは現実なんだ」と言う気分と、映画だと勘違いした自分を恥ずかしく思う気持ちが押し寄せてきました。

被害にあった人が現実にいる中、それを新しい映画だと思って眺めていた自分。

今思い出しても「なんて残酷な奴なんだ俺は」と悲しくなります。

それ以降悲しいニュースを観る度に気分が少し落ち込むようになりました。

ノートルダム大聖堂の火災のニュースも、僕は行った事もないし、信者でもないけど、燃える大聖堂をただただ見ていることしか出来ない現地の人達を映像で観て、どれだけの人がこの大聖堂を心の支えにしていたんだろうかと、苦しくなりました。

でも、この小さな苦しさが「想像力」なんだと思うと簡単に手放してはいけないなと思います。

そんな小さな想像力で今回の舞台にも立ち向かっています。

どうか劇場に来て僕たちの想像の力を目撃して下さい。

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稽古11日目 
「ぼくたちの進化」 

記録者 山下直哉

稽古11日目。

 

これは42歳の山下直哉という1人のおっさんが今、この瞬間、書き留めてみた言葉です。

 

なので、数時間後にはまた新しい考えとか別の思いが出てきます。

山下直哉の脳みそはフンコロガシが糞を転がすようにコロコロ変わります。

悪しからず。

 

 

そんで、

何を書き留めてみたかというと、

 

いろんな生き物の【進化】について。

 

ちょいと、Googleさんに進化について問い合わせたところ、

 

生物学進化…

長い年月をかけて環境によって変化し、より複雑で高度な状態になったり、遺伝子頻度の変化や突然変異、自然選択によって生物が変化する現象、またその過程で共通の祖先から多様な生物が生まれる。

 

鳥が空を飛べるようになったのも進化。

 

魚が海を泳げるようになったのも進化。

 

フンコロガシが糞を転がすようになったのも進化。

 

馬の視野をもうちょっと頑張れば360度見渡すことが出来たのに、

「これだけ見えれば大丈夫っしょっ!」

 

て事で結果、

350度までしか見渡せないのも進化。

 

じゃあヒトの進化とは?

 

二足歩行になったり、

火を使えるようになったり、

言語を話すようになったり、

またその言語を文字にしたり、

いろんな道具を作ったり、

いろんな武器を作ったり、

住む場所を作ったり、

住む場所を守ったり、

住む場所に名前をつけたり、

それぞれの住む場所に線を引いたり、

その線を「国境」ってつけたり、

住む場所がもっと欲しいと思ったり、、

 

 

ヒトはまだまだ進化するのでしょうか?

 

し続けるのでしょうか?

 

って事はヒトとヒトの争いがなくなるために皆んなに必死に頑張れば、殺し合うことがないヒトに進化できるのかも。

 

まだまだヒトは進化出来るって事だ。

 

 

42歳の山下直哉も然り。。。

 

 

9月12日金曜日、

吉祥寺シアターで、

『戦争始まったけど、どうする?』が幕を開けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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三上陽永の進化

杉浦一輝の進化

新垣亘平の進化

浦川拓海の進化

小河智裕の進化

京谷晶也の進化

男七人の進化を見届けてください。

稽古10日目 
「想い」 

記録者 京谷晶也

稽古10日目!!!

日誌も2周目に入りました!本日は荒通し後、作業日でした!前回もでしたがどんどん舞台が出来上がって来まして楽しみですね!!!

 

演劇というものに初めて触れたのは、兄が出ていた高校演劇でした。

自分はまだ小学生でなんのこっちゃ分からず見ていましたが、

自分も同じ高校に入り、同じ演劇部に入って、同じ演目を演じました。

役者を始めて、高校演劇を含めると8年経ちました。

 

8年………え???

 

高校時代に青森演劇祭というイベントにぽこぽこクラブが参加しており、そこで初めて存在を知りました。

私はその時、人生で初めて東京で活躍している方を見て、とてもかっこよくて。

そこからずっと私の憧れでした。

 

そしてついに!そのぽこぽこクラブさんに客演することになりまして!

めちゃくちゃ緊張しております!!

いつもの自分を出せてない感も感じつつ、初めての役柄、初めて三上さんの演出を受け、初めて共演する先輩方の演技を見て、とても圧倒されております!

正直!

 

それでも!キャスティングされた以上は少しは認めていただいたと思いこんで全身全霊くらいついて、くらい尽くしてみせます!

 

先輩方も観客の皆様も驚かすような芝居を致しますので!!是非ご来場くださいませ!!!

 

吉祥寺シアターでお待ちしております!!!

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稽古9日目 
「前向きに構築」 

記録者 杉浦一輝

稽古場日誌も2週目となりました。

残りの稽古もわずか。

万全な準備…と行きたいところですが、なかなかうまくいかないし、ワタワタしているのが、我らがぽこぽこクラブであり、僕の36年の人生です。どうも、杉浦一輝です。

 

自分じゃわからないこと、自分じゃできないこと、自分じゃ予想もしてないことを現場のみんなに助けていただいて、もうなんというか、語彙力が低下してるので上手く言えないですが、もう本当に助けていただいて。

感謝。感謝。ありがとう。ありがとうございます。

 

この現場で「ごめんなさい」もたくさん言っているけど、「ありがとう」の方が言っている気がします。

その分みんなに負担をかけているわけだから、それが決していいわけではないけど、でも、「ごめん」を「ありがとう」が上回る事って、なんだかんだ今の時代では、少ない気もします。

僕は「ごめん」が口癖のようになっている節があるので、「ごめん」は簡単に口にできてしまうと思いがちなのかもしれませんが。

 

今回の作品では『想像力』というワードが肝になっていきます。

 

短時間で大量の情報を消費できるようになった今の時代、「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉も出て来たように、表面的な情報ばかりを捉え、深く考える余裕も無くなってきたのではないだろうか。

自分の無意識のうちに、自分ではない誰かに対しての配慮ってのも減ってきたのではないだろうか。

 

「想像し続けてほしい」

 

今回の作品で出てくるセリフです。

 

想像し続けることって、体力いると思うんです。時間かかると思うんです。

でも、あえてその時間を作って、あえてそこに時間を費やしてみると、普段見逃していたものが見えてくるはず。

普段「ごめん」って言って処理してしまっていたことも、「ありがとう」って言えるような前向きな構築ができるかもしれない。

 

この世界で、「ありがとう」が増えればいいな。

 

そんな恥ずかしいセリフも、今作を見てもらえれば、言いたくなるかもしれない。

 

そんな作品に、していきたいです。

 

 

さっき餃子食べました。

明日は稽古初っ端から通しなのに。

 

「一輝、口臭いよ」って言われたら、「ありがとう」って言える準備しとこう。

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稽古8日目 
「夢みたいな世界」 

記録者 高信すみれ

(演出助手)

お邪魔します。演出助手です。

なんとか稽古がなんとか順調そうで、演出助手としてはひとまず安心。

 

ここからは、ひとりの日本人として、ちょっといろいろ考えてみます。

 

電車でじゃれ合って笑っているカップルや、買ってもらったおもちゃを大事そうに握りしめる子ども、駅のホームでズボンを前後逆に履いていたことに気がついたものの、どうしようもできない男の人……

この作品の稽古を始めてから、そんな何気ない日常の微笑ましい人々がよく目につくようになりました。

 

戦争が起きた世界というのを、壮大なもののように感じてしまうことがあるけど、こういう当たり前で何とも思わなかった日々が少しずつ、奪われていくということなのだと思います。

当たり前が奪われていくのを想像するのは、思わず目を背けたくなるほど、すごく、、、しんどいです。しんどい、って言葉で片付けてはいけない。わかってるけど、本当に、しんどい。

 

「守る必要のない世界」

 

という言葉が劇中で出てきます。

 

夢のようなことばかり語る理想主義者だけでは国は機能しませんね。もちろん。でも合理的な現実主義者ばかりでもいけないと思うのです。

極端な考え方は亀裂を生みますが、どちらの人間も同じくらいいなければならないと思います。

 

私は、演劇を学ぶ、一端の学生です。政治家でも、科学者でも、軍人でもありません。だから少なくとも私は、夢を語らなければならないと思うのです。夢を語れない世界は酷く悲しいと思うからです。

 

芝居ひとつで戦争を止められる、世界を変えられると本気で信じているわけではありません。でも、芝居ひとつで本気で世界を変えられると思うことすらできない世界には決してなってほしくないのです。そんな世界を作らないために、必死に夢を語っているのです。

それは、演劇を学ぶ、一端の学生にもできる反戦だと思っています。

 

「世界の人がほんの少しだけ優しくなれば、世界は平和になる」

 

この言葉を、馬鹿げていると思いますか。

夢みたいな話だと思いますか。

でも、これを夢見ることさえできない世界はもっと嫌だから、私はこの言葉を信じ続けています。

 

とにかく、毎日稽古で7人の熱い俳優たちを見るのが楽しみです。

劇場に入って舞台の上で彼らの世界が立ち上がるのがもっと楽しみです。

ちなみに公演初日の前日、私は20歳になります。

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稽古7日目 
『ジャンプ劇』とは? 

記録者 三上陽永

『ジャンプ劇』とは?

 

俺の芝居を観た人から「ジャンプ劇」と呼ばれることがある。

漫画みたいに分かりやすく、直球で伝わるという意味らしい。

 

ただ、今の『少年ジャンプ』に載っている漫画は勧善懲悪の単純な物語ではなく、人間関係もテーマもかなり複雑だ。だから必ずしも俺の芝居が「ジャンプ劇」と言えるかは疑問だし、ジャンプ編集部からすれば「一緒にするな」と言われるだろう。日本の漫画は本当にレベルが高い。

 

その中でも俺は『NARUTO』が大好きだ。

 

「俺が諦めるのを、諦めろ」

 

一度でいいから、本気で誰かに言ってみたい。

 

「俺が諦めるのを、諦めろ」

 

好き過ぎて二回も書いてしまった。

 

ジャンプの主人公はやっぱりど直球がいい。

ルフィのようにどんな困難にも立ち向かい、ナルトのように絶望しても諦めずに前へ進む。

仲間にははっきり「好きだ」と伝え、間違っているものには「間違っている」と正面から言う。恥ずかしさを振り切って、正論を真正面からぶつける。そんな姿に、42歳になった今でも胸を熱くするのだ。

 

ある時、俺の書く台詞は「くさい」と言われた。

確かに、愛とか友情とか平和とか、直球すぎるかもしれない。

 

だが友人のひとりがこう言ってくれた。

「舞台の上だから言えるくさい言葉もあるよ」

 

いいこと言うな…オレノグラフィティ。

ありがとう。愛してるぜ。

 

俺の書く文章は、文学的でも詩的でもないかもしれない。だが、直球で言葉を伝える良さは必ずある。人間関係だって同じだ。今は人と正面から気持ちをぶつけ合うことが少なくなってきた。衝突は減ったが、なんか虚しさも感じる。別に殴り合いがしたいわけではない。ただ、真正面からぶつかり合う姿を見たい。困難に直面しても決して諦めない人間を見たい。泥臭く踠きながらも諦めない人間の強さを信じたいのだ。

 

今回の新作は「戦争」を扱った作品だ。

だが俺が書くからには暗い物語にはしたくない。

 

戦争という怪物に、ジャンプ劇で挑む。

男7人の物語を、熱く、ど直球で描く。

 

そして今回もウラニーノの山岸くんがテーマソングを作詞・作曲してくれた。

脚本読んだら、歌詞と曲が降りて来たらしい。これまた俺好みのど直球の歌だ。普段クールに見える彼も、実は熱い。

愛してるぜ、山岸くん。

 

戦争を描いてはいるが、暗い物語ではない。

戦争の悲惨さ、残酷さ、愚かさ、悲しみは毎日テレビやスマホで見ている。

今回舞台で見せたい(俺が見たいのは)演劇を諦めない男たちの、熱い青春の物語だ。

 

ぽこぽこクラブの杉浦はもちろん、山Pの無表情に秘めた熱さ、浦川のツッコミにかけた熱さ、京谷の髪型にかけた熱さ、死んだ魚の目の裏に激しい闘志を燃やすこーへい、筋トレで演劇好きを誤魔化す程実は熱い演劇愛をもつ小河、、、

どうだ、暑苦しいだろう!胸焼けするだろ!

俺たちが戦争にできる唯一の抵抗は、舞台上で熱く熱く「生きる」ことだと信じている。

 

どうかこのブログを読んで、観劇するの辞めようなんて思わず…劇場に来て欲しい。

ウザさを通り越して、きっと清々しい気持ちになれるはずさ!

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稽古6日目 
「平和の正体」 

記録者 新垣亘平

新垣亘平です。

集中稽古7日目、少しずつ少しずつ形になってきました。

芝居が立ち上がっていくこの毎日が好きです。

 

小学生の頃「平和学習」と称した、戦争体験者のお年寄りの話を聞く会を何度か経験しました。

あるおばあちゃんは、自身に起きたとあるエピソードを話している最中に泣き崩れました。

妹さんがガマに入る直前、流れ弾が当たり

耳が吹き飛んだそうです。

その壮絶さ、痛みを語り最後には

絶対に戦争は起こしてはならない、と。

 

そうして僕たちは、「平和」を「学習」してきました。

その平和の正体が今になっても分からない。学習したはずなのに。

 

ある本にこういう一節がありました。

「私たちのお金が多国籍企業の資金になる。

戦争反対をいくら謳っていてもその戦費を出している限り私たち日本人は、戦争に賛成している事に変わらない」

 

さぁ今日も稽古が始まります。

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稽古6日目 
「平和の正体」 

記録者 新垣亘平

新垣亘平です。

集中稽古7日目、少しずつ少しずつ形になってきました。

芝居が立ち上がっていくこの毎日が好きです。

 

小学生の頃「平和学習」と称した、戦争体験者のお年寄りの話を聞く会を何度か経験しました。

あるおばあちゃんは、自身に起きたとあるエピソードを話している最中に泣き崩れました。

妹さんがガマに入る直前、流れ弾が当たり

耳が吹き飛んだそうです。

その壮絶さ、痛みを語り最後には

絶対に戦争は起こしてはならない、と。

 

そうして僕たちは、「平和」を「学習」してきました。

その平和の正体が今になっても分からない。学習したはずなのに。

 

ある本にこういう一節がありました。

「私たちのお金が多国籍企業の資金になる。

戦争反対をいくら謳っていてもその戦費を出している限り私たち日本人は、戦争に賛成している事に変わらない」

 

さぁ今日も稽古が始まります。

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稽古5日目 
「いちいち考える」 

記録者 山下直哉

集中稽古5日目が終わりました。

 

??

 

「集中稽古」って言葉より、「皆んなで芝居だけを考えられる稽古」の方がテンション上がるなぁ。

って事で

皆んなで芝居だけを考えられる稽古5日目が終わりました。

??

「終わる」より「始まる」の方が前向きになれそうだな。

って事で

 

皆んなで芝居だけを考えられる稽古6日目が始まります。

 

 

わたくし、今回出演します山下直哉と言います。

普段は、山下さんや山さん、山ピー、山ピカと呼ばれてます。

たまに「ピーさん」って事もあります。

 

もはや原型がなくなってます。

そんな自分は地元が京都でして、高校卒業までずっとサッカーをしてました。

 

小学生の頃、練習試合があって近くの学校と試合をしてたんです。

いろんな学校がもちろんあるんですけど、朝鮮学校もあるんですね。

 

その学校と対戦する時は、何故か大人達がやたら気合が入ってるんです。

 

 

「絶対に負けるな、なんとしても勝て」

 

 

普段そんな事を言わない監督が朝鮮学校と対戦する時だけ、目の色が変わるんです。しかも大会とかでもなく練習試合で。

 

当時は何故監督がその時だけ、ヒトが変わるのか分かってなかったけど、

 

 

「いやいや、そんな精神論よりどう攻めるかとか戦術教えてくれよ」

 

って思ってました。

 

向こうチームも同じような事を言われたんでしょうね、

 

結果は、

 

削り合いです。怪我人続出です。

 

俺たちは、

ただサッカーをしたかっただけなんですけどね。

 

 

ちなみに今はどうかわかりませんが京都は朝鮮学校とかよくあるんです。

自分がいた学校の友達も在日の方が沢山いて、それが普通で、家行って、キムチ食べたりゲームして遊んだり。

 

でも親は在日の友達と遊ぶ事に決していい気はしてませんでした。

 

「あんまり近づいちゃダメ」とか「あの子達は嘘つきだから」とか。

 

親のことは好きだけど、そういうモードになった時の親は嫌いでした。

 

高校の時も、近くの公園で友達とボール蹴って遊んでたら朝鮮学校の生徒達もサッカーをやっていて、

そんなに広くない公園だったので、

[今日の公園使いたい放題の権利]を賭けてミニサッカー対決しようとどういうわけかなって、毎日対戦してました。

 

それがもう楽しくて。

 

 

友達同士でサッカーやってても何となくクセとかサッカー脳が分かるし。

でもその対戦は、毎回新鮮で、ワクワクしながら楽しんでた記憶があります。

 

余計な事を言う大人達もいない中、審判もいない中、

ラフプレーもなく、ちゃんと自分達でサッカーのルールの中で勝負をしてました。そんで勝った方はちゃんとその日の公園を譲って。

公園は皆んなのものなのにね。

 

でもまぁ結局、一緒に遊ぼーぜってなってたけど。

その公園での出来事を親に言っても、その楽しさを理解しようとしてくれないだろうなと思って言いませんでした。

 

あの頃より大人になったんですね。

 

大人になったのかな。。

 

嫌だな、、そんな大人。

    「いちいち考えろよ」  

 

今回の台本で好きな台詞の一つです。

なんであの時、親は理解してくれないと勝手に決めつけてしまったのだろう。

ちゃんと話せば分かってくれたかもしれないのに。

いちいち考える。

 

 

誰かに何かを伝える時、

 

 

 

 

 

 

誰かを傷つけてしまった時、

 

 

誰かと言い争う事になった時、

 

誰かの想いを聞いた時、

 

誰かと何かを共有した時、

 

誰かが誰なのかを知るのが面倒になった時、

 

 

 

 

一つ一つ考えると得るものがある。

 

略して、

 

いちいち考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

 

 

で、

 

 

 

 

  「戦争始まったけど、どうする?」

 

 

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稽古4日目 
「若人」 

記録者 京谷晶也

集中稽古4日目が終わりました!

今日は稽古場仕込みの日でした!

小道具も増え平台などなど組立てまして、本番の劇場のイメージがどんどん湧いて来ました!

 

稽古するにあたって、戦争について調べたり政治について知ったりして、今までどれだけ知らず興味を持たずだったのかを痛感しました。

どこかで過去の事だと気にせず、生きてきた自分が少なからずいたのだと思います。

稽古中、先輩方の論争を様々聞き、自分の知識の少なさよりも知ろうとしてこなかった事がとても悔しく感じました。

若者の選挙離れというのも近しい感覚なのかなとも思います。

 

7人の中で最年少ということもあり、先輩方から沢山学び、自分でも調べ考えていかなければなと思ってます!

一日本人としても、一役者としても!

 

今作での私個人の願いとしては、戦争についてもっと考えなさい!とかではなく、ウクライナってどこだっけ?政策ってどういう意味?とか、ほんと些細なことが気になって、それをきっかけに少しでも戦争について考える機会になってくれたらいいなと思います!

 

まずは楽しんで見てくださいね!

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稽古3日目 
「鉛を飲んで」 

記録者 浦川拓海

集中稽古3日目が終わりました。

毎日稽古場で、戦争や僕がいるこの世界の事を考えながら稽古をしていますが、なんだか鉛を飲んでいるような気分になります。

TVをつけて殺人や戦争の話を知る度に、少し暗い気持ちになり、なるべくその事について考えないように、見ないようにしてしまう自分がいて。

なんだか逃げ続けたツケを払っているような。どこか後ろめたい気持ちに…。

 

でも、見ないようにするのって仕方ない所もあると思うんですよね。

生活してかなきゃいけないし、気分が落ち込んでたらご飯も美味しくないし。

こんな気分の役者が果たして「戦争」をテーマにした舞台に出て良いのか疑問ですが、こんな気分のお客さんもいるだろと、そんなお客さんにこそ見てほしいと、そんか芝居にしたいなと思ってます。

大体、「戦争」ってタイトルに入ってたら、躊躇しますよね!

「桐島、部活やめるってよ」みたいに言われても

「戦争」がでかすぎますよね!

安心してください!

 

何にも考えないで観に来れる舞台です。

帰りは僕と同様に鉛を飲み込んで帰れます。

 

お楽しみに。

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稽古2日目 
「民族意識」 

記録者 小河智裕

集中稽古2日目、立ち稽古が始まりました。

実質、本日から本格的な稽古の開始と言えます。

とにかく本番まで2週間と少ししかないので、立ち稽古が始まり稽古場の雰囲気もキュッとしたような感じがしております。

 

今作のテーマの1つ、現代の戦争。戦争を考えるときに、僕は民族ということを考えます。

現在の日本で民族意識を持っている人は果たしてどのくらいいるのだろう。

日本人の多くは大和民族だと呼称されますが、私たちは大和民族だ、と思って生きている人なんてそういないよねと思うんです。

それで?と言われたらそこまでですが、日本人はいつから民族意識を放棄したのか、ということを僕は時々考えてしまいます。

 

かの三島由紀夫が割腹自殺したそこには、民族としての誇り高さのようなものが見える。

あの行為に対して、僕は賛否のどちらの立場にも立ってはいませんが、今の日本人が決定的に失ったものが確かに存在していた気がしてならないのです。

 

と、話が逸れましたが着々と稽古進めて良い作品にしていきますので、吉祥寺シアターに僕らの芝居を見に来てください!

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稽古1日目 
「戦争の反対語って?」 

 

本日からキャスト全員揃い、ここから本番に向けて集中稽古が始まりました。

やっぱり男7人、全員ビッと揃うとギアが上がり、稽古場の温度が上昇します。

物理的にも男だらけの現場って、なんだか暑苦しい。

エアコンで部屋の温度を下げても、やっぱり暑苦しい。

 

さてさて、稽古はというと…

今作は「現代における戦争」を題材にした作品なので、やはり、「話し合う」ことからスタートします。

それぞれの世代、それぞれの土地、それぞれの人付き合い、そこで生まれる価値観や感覚というのをみんなで話し合っていく。

 

今日はふとした事から「戦争の反対語は何か?」という疑問がテーブルの上に置かれました。

世間一般的には「戦争の反対は平和」でしょうかね。

でも、そんな単純な事なのだろうか?なんかピンとこない。

戦争は「嫌なもの、傷つくもの、血が流れるもの」とイメージできるのに、平和ってなんだかぼやけて、しっかりとイメージできない。

「平和ってなんですか?」って聞かれたら、なんとなく、曖昧で、すぐに答えられない。

この時点で、戦争と平和ってのが同列にある気がしないのです。

みんなで話しながら突き詰めていく。

戦争は「手段」であり、平和は「状態」を指すのではないか?

だとしたら戦争の反対語は「対話」じゃないか?いや、対話ってのもピンとこない。対話をし続けて、それが拗れた時の手段として、武力による戦争が起きてしまうから、やはり戦争と対話も同列に思えない。

はたまた混乱していく我々…。

 

情報と感覚を整理しながら話は飛躍していく。

対話が拗れて、先に武力を使って手を出したらそれが戦争になるのか?先に手を出したらそれが「悪」なのか?

例えばいじめと置き換えた場合、集団で心理的攻撃(いじめ)を受けている子が、いじめのリーダーに先に手を出したら、それが「悪」となるのか?

その構図はまさに、例えば革命戦争や奴隷解放戦争の構図なのだろうか。

そう考えていくと、やはり戦争という手段は、決して「悪」ではないのか?

誰かが言った。「戦争って、もしかしたら人間の本質じゃないですか?」

わからなくもない。何を持って戦争と定義するかだけど、本質的に人間が持ってしまっている性質が現れているかもしれない。

いや、でも、血を流す、人を殺すことが結果としてそうなってしまっても、その必要が本当にあるのだろうか?正しい解決方法は本当にないのか?

だって、嫌だもん。大切な家族や友人たちが巻き込まれてほしくない。

だから、なんとか戦争を起こさせないために、考える。そして考えるためには、やはり知っていかなくてはいけない。

だからこの稽古場でも、とにかくみんなで話す。何が正しいのか。何が大切なのか。

 

結論は出るかわからないけど、9月12日は初日の幕が開きます。

そこで僕らはどう舞台上に立っているのか、ぜひ見に来てもらって、一緒になって体感してもらえればと思います。

さあ、今日もぐるぐる考えよう。そしてセリフ覚えなきゃ。

記録者 杉浦一輝

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